日本全国冒険紀行

日本全国津々浦々の冒険記。失われつつある追憶の風景・入りにくいけどイイ店・ワンダフルな建築物から知られざるディープスポットまで...全国の面白いものを独自の視点で紹介!!

マンモス団地の需要支えた街 「松原団地前駅周辺」

埼玉県

駅に団地の名が付いた全国的にも珍しい「松原団地前駅」。その名の通り東洋一のマンモス団地「松原団地」の最寄り駅として団地造成時に開業。1980年代前半は隣の草加駅よりも利用者数が多かった。駅利用者は若者も多く見られるが、これは近くに「獨協大学」があるので通学生の乗降が多いのだ。それもあって街には活気があり寂れた様子は無い。

松原団地駅周辺02
駅西口を出ると、駅前ロータリーに面した30階建ての高層マンション「ハーモネスタワー松原」が聳え立っている。
松原団地の再開発として真っ先に完成したこちら、古臭い団地の印象を一気に“消毒”した感じ。

松原団地駅周辺03
団地方面には、おそらく団地の居住者がよく利用したであろう商店街が。

松原団地駅周辺04
これがなかなか昭和臭プンプンで、古臭さがいい。どことなくアメリカの田舎町みたいな雰囲気を感じるのは気のせいか。
再開発ではこういうレトロ商店街も“消毒”されてしまうのだろうか。

松原団地駅周辺05
並びにあった「ファッションプラザ フジヤ」。奥行きのあるかなり大型店舗で、多くの団地居住者のオシャレ心を満たしてきたはず。これもアメリカの田舎町にありそうだよね。

松原団地駅周辺06
続いて駅東口。

松原団地駅周辺07
カラオケ店にはデカデカと熊のゆるキャラが。ゆるキャラブームよかずっと前からいるベテランキャラだろう。

松原団地駅周辺08
駅から数分歩いていると、交差点に大きな橋が見えてくる。
これは旧日光街道にある「草加松原遊歩道」の矢立橋。

松原団地駅周辺09
634本の松が植樹された約1.5キロメートルにも及ぶ松の並木道で、おくのほそ道の風景地として有名。
美しい画が撮れそうな場所なので、機会があればじっくり紹介したい。
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東洋一のマンモス団地 「松原団地 後編」

埼玉県

松原団地11
前編に続き、松原団地のC地区、D地区を歩く。

松原団地12
C地区の4階建ても、入り口が封鎖された箇所が点在している。

松原団地13
建物の土台だけを残しているのだろうか。まるで古代遺跡のような佇まい。

松原団地14
封鎖されていない入り口で寛ぐネコを発見。あのコは団地の運命を知らないのだろう。

松原団地15
鬱蒼とした緑に覆われるテラスハウス。
C地区・D地区は、こういったテラスハウスタイプが多い模様。

松原団地16
多くは空き家状態のようで、建物ごと閉鎖された箇所も目に付く。
もはや解体を待つのみの、物悲しい姿を晒している。

松原団地17
緑は建物を覆わんばかりに伸び放題。放っておけば建物が完全に覆われてしまうだろう。

松原団地18
植物に覆われた廃墟、両側を緑に囲まれている通路には、残酷なほどの美しさがある。
このまま放置した状態を見てみたい気もするが...。

松原団地19
団地内にはいくつか公園もある。
かつては全ての公園が子供達の声にあふれ、明るい時代が続いていたに違いない。

松原団地20
折しも団地入居が開始された1962年(昭和37年)といえば、東京都の常住人口が1000万人を突破し、世界初の1000万都市になった年である。
しかし今や居住者は高齢化が進む一方。公園は遊び場の役割を終えもっぱらただの風景でしかないのか。

再開発は2015年に完了予定、松原団地は「コンフォール松原」として生まれ変わる。

東洋一のマンモス団地 「松原団地 前編」

埼玉県

埼玉県草加市にある「松原団地」は、約6000戸が並ぶマンモス団地。1962年(昭和37年)に入居が開始され、完成当時“東洋最大規模の団地”と言われた。
高度経済成長を支えた企業戦士2万人が暮らし、団地内には小・中学校、市役所サービスセンター、郵便局、商店街などが次々と建てられ、めまぐるしい発展を遂げた。

松原団地01
しかし、現在は住民の高齢化で空き家が目立ちはじめ、建物は老朽化に伴い順次建て替え工事されている。
2015年には再開発が完了する予定で、昭和を感じさせる団地の姿はもうじき消滅するのである。

松原団地02
以前の「阿佐ヶ谷住宅」の例もあり、在りし日の姿を残せず悔やまれることの無いよう、今回は「松原団地」を冒険することにした。

松原団地03

松原団地04
団地はA地区~D地区に区分され、各地区には商店街も存在していた。
再開発事業はどうやらA地区から順に行われているようで、A地区・B地区は工事中の建物が目立つ。

松原団地05

松原団地06
建て替え工事は行われているが、目下工事中のB地区にも未だ暮らしている人がいるようだ。

松原団地07
建て替え前の団地の姿を見るのは、工事未着手のC地区を中心に歩くのがいいようだ。
緑が道の両側から生い茂り、昭和の風情というより「軍艦島」のような団地の廃墟を歩いているような気分になる。

松原団地08
前述のように各地区に商店街が存在したらしいが、C地区のは残っていた。

松原団地09
広場を囲むように並んでいる店舗。商店街の真ん中で住民の井戸端会議が行われている光景が目に浮かぶ。
何とも懐かしい昭和の風景である。

松原団地10
情報によれば今も営業中とのことだが、全ての店舗のシャッターが閉まっている。
団地の中でも賑やかだった場所は、静けさに包まれていた。他の地区は、もう残っていないのだろうか。

続き→

万満寺の門前町の名残 「馬橋駅周辺」

千葉県

今回の冒険は松戸市馬橋にある「馬橋駅(まばしえき)周辺」。...そう、かなりマイナーな駅には違いない。
だが日本全国の冒険には、こんな近隣の人々しか聞いた事のないような場所に行くのも、こりゃまたオツな話だっつーの。

馬橋駅周辺01
江戸時代には水戸街道の「間の宿(あいのしゅく)」、つまり宿場と宿場の間の休憩施設があった馬橋。
街のあちこちで、風情ある日本家屋や門・塀を目にする。

馬橋駅周辺02
駅の周りには役目を終えた建物もちらほら。

万満寺01
馬橋駅周辺の注目は東口。重要文化財の仁王像がある「万満寺」があり、東口周辺は門前町にあたる。
こちらには明治時代の駅開業以来の古い商店街が存在している。

馬橋駅周辺03
その商店街は何とも懐かしい感じの風景。

馬橋駅周辺04
庇には以前の屋号が消してあるけど消えきってなくて、入り口の提灯には「まじょ」と書かれている。
こういう風景になるとツッコミどころが出てきて、我々的には好感触。

馬橋駅周辺05
この理容店なんか、バラック建てながらレンガ造り風に飾られていて、サインポールを小粋な街灯のように演出。
オシャレ心を感じるではないか。

馬橋駅周辺06
昭和な雰囲気プンプンの「おしゃれの店 ちぐさ」。アンニュイな空気漂う。

馬橋駅周辺07
さらに古そうなこの建物は、何の店舗だったかわからない状態。
現在は自転車置き場になっている模様。

馬橋駅周辺08
強烈だったのがこちら。角地に立つ呉服・洋品店「信濃屋」。

馬橋駅周辺09
ファサードにあたる入り口上のコンクリート部分が落下寸前(!)といった様子。

馬橋駅周辺10
さらに、よく見るとかなり亀裂が入っているのだ。外壁落下の防止用ネットは張られているものの、そのものが落ちてしまっては...。童謡「ロンドン橋落ちた」を地で行くような、なんて言ってる場合ではなさそうである。
こちらも自転車置き場として、かろうじて機能している。

離れ小島に日が昇る 「日の出商店街」

埼玉県

東武スカイツリーライン・蒲生駅から15分ほど。駅前から続く商店街が途切れたもっと先に、地元民しか知らないような魅力的な商店街を発見した。

日の出商店街1
それがこちら、「日の出商店街」。駅から離れた、商店街があるとは思えない閑静な住宅地の中に突如現れる。

日の出商店街2
アーケードには旭日マーク、入り口には紅白の提灯。よく見りゃライトも赤白だ。
テーマである日の出を前面に押し出した底抜けに明るいデザインだ。

日の出商店街3
しかし、惜しむらくは人通りがほとんど無いことだ。オープン当初にあったであろう華やかなムードは残念ながら...。

日の出商店街4
ラジオなのかテープなのか、昭和臭満点のBGMだけが哀愁たっぷりに響いている。

日の出商店街5
看板を見ると、店舗名とともに心憎い一言が。
“よい子と育てるよいおもちゃ キング”。トランプのキングを彷彿させるキングの絵もいい。

日の出商店街6
“真心いっぱい花いっぱい”。花屋の看板のようだ。
この店は撤退済なのか、店の前は花ではなくタオルや衣類が並んでいる。

今回のような駅から離れた商店街は、本来地元の人以外知ることの無い言わば「離れ小島商店街」。島が見えない海を漂流して、ようやく見つけた島のような存在。ましてや現役のものは希少である。
ただこういった商店街は減少の一途。おしなべて絶滅危惧種となっている。

熱海の三大別邸 「起雲閣 後編」

静岡県

前編に続き、起雲閣。

起雲閣10
洋館「玉渓」は中世英国の「チューダー様式」に「名栗仕上げ」を取り入れたヨーロッパの山荘風の造り。暖炉の覆いにはサンスクリット語と飾り、入口の天井には茶室のように竹が用いられるなど、独特の空間となっている。

起雲閣11
洋館「金剛」も見どころが多い。
この建物は「根津嘉一郎」により、1928年(昭和3年)に着工、翌1929年(昭和4年)に完成した。

起雲閣12
暖炉上方のスペード、ハート、ダイヤ、クラブを象った模様をはじめ、草花の模様などが、洋館では大変珍しい螺鈿細工(らでんざいく)によって施されている。

起雲閣13
細かい柄のステンドグラス。

起雲閣14
こちらはオリエンタルなステンドグラス。

起雲閣15
何度か改築されているが、蝶番やドアノブなど、細工が施された建具金物は建築当時の物だそう。

起雲閣16
洋館「金剛」に併設されたローマ風浴室。
1989年の改築の際、多くの部分で現代の材料に改められたが、ステンドグラスの窓やテラコッタ製の湯出口などは、建築当時の物。

起雲閣17
肌触りの良さや滑り止めの効果を考慮して、浴槽の周囲には「木製のタイル」が敷かれている。

起雲閣18
起雲閣の庭園は、池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)とよばれており、眺望を楽しむことと、散策を楽しむという両面性をもった庭園。

起雲閣19
眺望については、敷地内の各建物、各部屋それぞれの場所から眺めたとき、どこから眺めても快適な庭となるように設計されている。眺めるだけでなく実際に庭に入ることができ、まさに日本の美の世界である。

熱海の三大別荘 「起雲閣 前編」

静岡県

起雲閣01
熱海市昭和町にある近代建築「起雲閣」。
見どころの多いところで、熱海の三大別荘と称される日本全国版では久々の大正ロマン溢れる建築物。

起雲閣02
1919年(大正8年)建築の、熱海市指定有形文化財。
元は実業家根津嘉一郎、農商相・内田信也の別邸だったが、、所有者が変わった1947年からは旅館として営業し、山本有三、志賀直哉、太宰治など多くの文人にも愛された。そして2000年(平成12年)からは熱海市所有の観光施設となっている。

起雲閣03
起雲閣は、複数の和館・洋館が渡り廊下で繋がっている構造。それぞれの建物が庭園に臨む。

起雲閣04
和館「麒麟・大鳳(きりん・たいほう)」は、最初の持ち主であった「内田信也」が実母の静養の場所として建てた別荘。群青色の壁は、旅館となってから塗り替えられたもの。

起雲閣05
洋館「玉姫」は二代目の持ち主「根津嘉一郎」により、1931年(昭和6年)に着工、1932年(昭和7年)に完成。
正面中央に暖炉があるヨーロッパのデザインを基本にしている。

起雲閣06
それでいて日本の神社仏閣に見られる「折上格天上」(おりあげごうてんじょう)などが用いられ和洋折衷されている。
ろうそく型のシャンデリアのレトロゴージャス感が何とも。

起雲閣07
「玉姫の間」に併設されたサンルームは、大きな窓とステンドグラスの天上、色鮮やかなタイルの床が特徴で、「アールデコ」のデザインを基調にしている。

起雲閣08
たくさんの日光を取り入れるために、天井とともに屋根もガラスで葺かれている。
天井と高窓の間には、唐草模様が刻まれた石膏の装飾が施されている。

起雲閣09
部屋の部屋の境目には凝った和の彫り物。

続き→

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