日本全国冒険紀行

日本全国津々浦々の冒険記。失われつつある追憶の風景・入りにくいけどイイ店・ワンダフルな建築物から知られざるディープスポットまで...全国の面白いものを独自の視点で紹介!!

長崎花街の残滓 「丸山遊郭跡」

長崎県

江戸の吉原、京の島原とともに、日本三大遊郭の一つとして知られている長崎の丸山。

丸山遊郭跡01
こちらは「思案橋の碑」。
この付近にはかって玉帯川が流れ、遊郭へ“行こか戻ろか”と思案したので名付けられたという遊郭への門前橋、思案橋が架かっていた。

丸山遊郭跡02
この石垣は、遊郭が塀や石垣で隔離されていた事を物語っている。
丸山の特徴として、丸山の遊女が唐人屋敷や阿蘭陀屋敷(出島)への出入りが許されていて、唐人や阿蘭陀人との交流があった事が挙げられる。
祖国を離れた外国人にとって、丸山の遊女は何よりの癒しであり、「丸山の戀は一萬三千里」と唄われた。
この丸山遊郭は、日本はおろか海外にまで名の知れた遊里だったのだ。

丸山遊郭跡03
何ともそそる街並。華やかかりし往時の雰囲気が香る。

丸山遊郭跡04
こちらは今も料亭などに芸者を派遣する「長崎検番」。赤ちょうちんには現役の芸者の名前が書かれている。

丸山遊郭跡05

丸山遊郭跡06
石垣や塀に加えて、階段や坂が多いのも特徴。

丸山遊郭跡07
「中の茶屋」は、丸山の遊女置屋筑後屋が茶屋を設けていたところ。
内外の文人墨客が好んで遊び、長崎奉行の巡検の際は休憩所にあてられたそうだ。

丸山遊郭跡08

丸山遊郭跡09
風情あるこの通りは「忍び坂」といわれ、かつて丸山遊郭で遊んだ男達が帰る際、丸山の大門を通るのは気が引けるというので、この裏階段を忍んで通っていたことから名付けられたのだという。

丸山遊郭跡10
明治時代から同じ場所で県下随一の歓楽街を受け持っているという丸山町交番。
歴史は古く、石造りの現在の交番も丸山のシンボル的存在となっている。

昭和33年の売春防止法により、丸山遊郭はその役割を終えた。

とかく、闇に葬られがちな遊郭の歴史。
ここ丸山も花街だったその歴史さえ消えつつあるが、遊女達の活躍無しでは長崎の繁栄は無かったはずであり、由緒ある歴史の地である。
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蠱惑的な迷宮 「唐人屋敷周辺」

長崎県

二十歳くらいの時だったかな。
オランダ坂から新地中華街への近道のつもりで偶然迷い込んだのがここ。以来、この不思議な魅力に取り憑かれ長崎に行った際は必ずと言っていいほど立ち寄ってしまう。住所は十人町と館内町あたり。
唐人屋敷跡は別の機会に紹介するとして、今回は周辺の町並みにスポットを当てる。
それでは、蠱惑的な迷宮「唐人屋敷周辺」へ案内しよう。

唐人屋敷周辺01
古い校舎のそばの目立たない路地。異国情緒のある階段を抜ける。

唐人屋敷周辺02

唐人屋敷周辺03
道が狭いので家屋が迫り、周りの景色が見えにくいのだ。

唐人屋敷周辺04
なので方向感覚がつかみにくく、迷宮の深みにはまってしまう。

唐人屋敷周辺05
唐人屋敷は周囲を堀と堀で囲まれ、外側は竹垣を配置。外の世界とは遮断されていた。この水路はその堀の跡。

少し歴史に触れておくと、唐人屋敷とは江戸時代の鎖国政策により長崎に設置された中国人住居地区。
当初はキリスト教徒ではない中国人は長崎市内に雑居することを許されていた。しかし、密貿易が増加したため、長崎奉行所では中国人の居住地区も制限することになった。

唐人屋敷周辺06
懐かしいホーロー看板がいっぱい。いいねぇこれ。文房具屋かな?
マニアに見つかったら買い取られてしまいそうだ。ここにあるからいいのにね。

唐人屋敷周辺07
十人町の中の銭湯。営業しているかは不明だが、独特の装飾がニクい。

唐人屋敷周辺08
そして、館内町にあるこの市場。

唐人屋敷周辺09
古ぼけたこの市場は、八百屋や肉屋など食料品店舗が集まっている。

唐人屋敷周辺10
暗く怪しいこの空間。この日は日曜日だったため店は全て閉まっていたが、平日は開いている。無論、観光客には近寄り難いディープな雰囲気だが。

とにかくここでは再開発などとは無縁で、感光地や市街に囲まれつつも独自の時間の経過を遂げてきたようだ。
既視感にも似た不思議な感覚を抱かせるこの雰囲気。懐かしく、でも新鮮で、そして気持ちがいい。

日本最古の現存キリスト教建築 「大浦天主堂」

長崎県

1865年に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物「大浦天主堂」。

大浦天主堂1
正式名は日本二十六聖殉教者堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。コンクリート製に見えるが木造。現存するものでは日本最古の木造教会である。
1933年に国宝に指定された。

大浦天主堂2
西洋建築に、金色で「天主堂」と漢字で書かれていて、このバランスがたまらない。

大浦天主堂3
正面にある聖母マリア像。「日本之聖母 慶応元年三月十七日 信徒発見記念」と記されている。
これは浦上の潜伏キリシタンが大浦天主堂を訪ね、神父に密かに信仰者であることを名乗った「信徒発見」のこと。

大浦天主堂6
内部は美しいステンドグラスが、幻想的に光り輝いている。
コウモリ傘のようなリブ・ヴォールト天井が見える。

大浦天主堂4

大浦天主堂5
他にも様々な装飾がなされていて、建造物としての美しさを感じる。西洋建築に瓦屋根。
長崎市への原爆投下によって破損したが、爆心地から比較的離れていたため焼失は免れた。

裏手には、こちらも国の重要文化財である「旧羅典神学校」があり、キリシタン資料室として公開されている。
こちらを見ると、いかにしてキリスト教が日本にいったか、その歴史の一部を垣間見る事ができる。

名立たる門のコレクション 「狭山不動尊」

埼玉県

天台宗別格本山の仏教寺院である「狭山不動尊」があるのは埼玉県所沢にある上山口。
埼玉西武ライオンズが必勝祈願を行う寺として知られるそう。

昭和50年に西武グループが天台宗別格本山として建立したのだが、この寺の凄いのは、芝増上寺をはじめとする各地の文化財をこの地に集められた事。
特に“名立たる門のコレクション”といえるほど、様々な門が移設されている。紹介しよう。

狭山不動尊1
勅額門 徳川秀忠 (台徳院) の廟から移設。“台徳院”と書かれているが、これは2代将軍徳川秀忠のこと。

狭山不動尊2
御成門 徳川秀忠 (台徳院) の廟から移設。

狭山不動尊3
豪華な装飾がなされている。

狭山不動尊4
総門 毛利家江戸屋敷の門を移設。

狭山不動尊5
丁子門 崇源院霊廟から移設。
崇源院とは2代将軍徳川秀忠公夫人お江与の方。NHKでやっていた「江~姫たちの戦国~」の江である。

狭山不動尊6
羅漢堂 井上馨邸から移設。
周囲の燈篭は増上寺の徳川家霊廟にあったものを移設。ここは柵の中で立ち入りは出来ない。

これらの遺構は、西武グループが各地のプリンスホテルを開発する際にこの地に集められたものらしい。
他にも奈良や兵庫などから移設された多宝塔など由緒あるものが多数ある。
まことにもって、香ばしい光景なのである。

進化を続ける珍寺院 「山口観音」

埼玉県

「山口観音」は所沢市上山口にある寺院で、古くから観音信仰の霊場として知られる。
そしてこの寺院、かなり変わっているのだ。

山口観音01
最寄り駅は西武球場前駅。駅から少し歩くと、「山口千手観音」というゲートが現れる。

山口観音02
本堂にてご挨拶。写真右には電飾付きの何とよんでいいか分からんものがある。タイの寺院なんかにありそうだけど、日本ではあまり見かけない。

山口観音03
社を囲うようにあるこちらは『マニ車』といい、クルクル回し社を一周することによってお経を唱えるのと同じ効果があるとのこと。

のんきにマニ車を回していると、この社を囲んでいる物に気付き我々はビックリさせられた。

山口観音04
なんと、夥しい数の水子地蔵がグルリと周りを囲んでいたのである!

山口観音05
死産や乳児の頃に夭折した水子もあるだろうが、戦後に爆発的に増加した人工妊娠中絶の水子が大半だろうと推測。これら全て生まれる事すら出来なかった命なのだ。

山口観音06
中国っぽいお堂が2つあった。囲う塀には立派な龍がいる。

山口観音07
丘へ上がる階段にも2匹の長い龍がいる。

山口観音08
丘の上には山口観音のランドマークといえる八角の五重塔がある。

山口観音09
塔を囲うように仏国窟というトンネルもあった。四国八十八ケ所霊場とある。

山口観音10
トンネルの中はこんな感じ。入り口には不気味な雰囲気があったけど、中は明かりもあり整然としていた。

噂では、今後も龍が増えていくという話もある。今年は辰年だしね。
コンセプトはよく分からんが、進化を続ける珍寺院なのである。

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